FrontPage京都の社寺伏見稲荷大社

見どころ

太秦の秦氏族は、記録の上では大宝元年(701)桂川畔にそびえる松尾山に松尾神を奉鎮、深草の秦氏族は、
和銅4年(711)稲荷山三ケ峰の平らな処に稲荷神を奉鎮した。
由縁として、この頃全国的に季候不順で五穀の稔りの悪い年が続いたので、
稲荷山に大神を祀られたところ、五穀大いに稔り国は富み栄えた、この祭祀された日こそが
和銅4年の2月初午であった、との伝承があります。
主祭神として祀られている宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)が、
日本に初めて稲を肩に荷って天から降りてきたので「稲荷」と呼ばれるようになった。
元々は農耕の神様で、五穀曲豆穣が、中世頃から商売繁盛へと発展し、さらに開運の神様とされた。
明治四年(1874)には官幣(かんぺい)大社に列せられており、現在では、全国に四万程ある稲荷社の総本家。
平成21年の初詣客は約277万人。
【稲荷山:海抜233m 境内地:約27万坪 お山巡拝所要時間約2時間】

【初午(はつうま)】
今日“初午”は、年中で最も寒い時季に当り、時として節分の前にめぐり来ることもあります。
しかし旧暦では、もう少し春めいた頃(通常は2月下旬から3月中旬の間)にめぐってきたものでした。
初午詣には、平安時代の初期から老若男女がうち連れて群参した様子がうかがえます。
『今昔物語』には、物見遊山的な気分で参詣する者もいたということです。
『枕草子』には、初午に七度も登拝をするという熱烈な信仰がいたとしたためられています。

【秀吉の信仰】
天正16年、秀吉は生母大政所の大病平癒を当社に祈願し、この願いを叶えてくれたなら
一万石を寄進すると申し出ました。当社ではおおがかりな祈祷を執行しその結果大政所は回復。
これによっていっそう当社への信仰を深めた秀吉はその前後から当社の本格的な修復をし、
現在の楼門はその折の建立であります。
この秀吉の修復工事によって境内諸社殿のたたずまいはおおよそ現代の規模に近いものになりました。

【千本鳥居】
「赤い鳥居」といえば、すぐ「おいなりさん」を連想するほど、赤という色が人々の心情に深く染みとおっています。
元来、稲荷の鳥居は社殿と同じく「稲荷塗」といわれ、朱をもって彩色するのが慣習となっています。
この「あけ」という言葉は、赤・明・茜など、すべてに明るい希望の気持ちをその語感にもち、
その色はまた生命・大地・生産の力をもって稲荷大神の“みたま”の働きとする強烈な信仰が宿っています。
名所「千本鳥居」の奉納は、すでに江戸時代に興り今日のを形作っています。

【おもかる石】
奉拝所の右側後に、一対の石灯篭があります。この灯篭の前で願い事の成就可否を念じて
石灯篭の空輪(頭)を持ち上げ、そのときに感じる重さが、自分が予想していたよりも軽ければ願い事が叶い、
重ければ叶い難いとする試し石です。
【願かけ絵馬】
それぞれの願いを絵馬の裏面に書き、絵馬懸けにつるしてその成就を願うもので、
商売繁昌・家内安全・良縁・病気平癒など願いごとは様々です。特に一月と二月は受験合格祈願の人々でにぎわいます。

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場所

京都府京都市伏見区深草藪之内町68

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