上賀茂神社

上賀茂神社(かみがもじんじゃ)」の通称で呼ばれる事が多い。
式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。
上賀茂神社は、下鴨神社とともに京都で最も古い神社。
一説には、神武天皇の御代に神山の頂上に創建されたとも、また、七世紀の天武天皇の御代に、この地方を支配していた豪族・賀茂氏の氏神として創建されたとも伝えられる。
下鴨神杜に肥られている玉衣姫命の子供である賀茂別雷命をお祀りして、正式な名前は賀茂別雷神社。
下鴨神社と二つ併せて賀茂神社(賀茂社)、歴代の皇女が斉王として神に仕えてきた。
賀茂別雷命はその名のとおり、雷神様として敬まわれ、厄除け・方除けに霊験あらたかと、現在も広く信仰を集めております。「別雷」とは「若雷」という意味で、若々しい力に満ちた雷の神様のこと。
一ノ烏居からニノ鳥居にかけては、白砂を敷きつめたグランドのよう広場が続く。
ニノ鳥居から奥に約六十棟もの杜殿、その中、江戸時代末に建てられた本殿と権殿が国宝に指定、ほかに四十一棟が国の重要文化財に指定。
賀茂川上流から取り入れられた明神川は、上賀茂神社境内では、御手洗川とか楢の小川と呼ぶ。
風そよぐ ならの小川の夕暮は みそぎぞ夏の しるしなりけり 藤原家隆(小倉百人一首)
下鴨神社と合同で行われる葵祭り(下鴨神社の項参照)のほかに、五月五日の「競馬会神事」と九月九日の「烏相撲」がとくに有名でございます。

○競馬会神事
「競べ馬」の名で親しまれている。一説には、十一世紀末の堀河天皇の御代に始められたという。
当日は、赤黒の二頭により十レースが行われ、その勝ち数によって、その年の豊作か凶作かが占われる。

○烏相撲
祭神の賀茂別雷命の祖父にあたる賀茂建角身命が、神武天皇東征の折に先導した神であり、その時、天皇の弓の先に八咫烏が止ったという故事にのっとり、神前で行われる相撲を烏相撲と呼ぶようになった。

○立砂(盛砂)
盛砂ともいう。ニノ鳥居をくぐった細殿の前に盛られた一対(二つ)の円錐形をした白砂。ご神体である神山を表わし、神様が降りてくる場所、その前で烏相撲が行われる。雨風によって崩れる都度補修され、およそ底辺の直径130センチ、高さ150センチ

○神山
上賀茂神杜の北、標高301m。神様がそこにいらっしゃると信じられ、上賀茂神社のご神体。

社家の町、西村家別邸
上賀茂神社の南側一帯は、美しい家並みが続く、「上賀茂神社の社家の町」として、国の重要伝統的建造物群保存地区(町並み保存地区)に指定。
社家とは神社の神官を世襲する家柄で、上賀茂神社の社家の町には、江戸時代頃までは,140軒程あったそうで、現在でも30軒程の社家の家がある。
いずれの家でも、土塀をめぐらした邸内に、明神川の流れを引き人れた池を中心にして見事な庭園に囲まれた美しい独特の遣りとなっております。
その中で、錦部家の旧宅であった西村家別邸だけが一般に公開されております。

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