八坂神社

スサノヲノミコト(素戔嗚尊)、
クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)、
ヤハシラノミコガミ(八柱神子神)を祀る。
日本神話でも知られるように、スサノヲノミコトは、八岐大蛇を退治し、
クシイナダヒメノミコトを救って、地上に幸いをもたらした偉大な神さまです。
八坂神社の歴史は、社伝によれば平安建都の約150年前(656)。
都の発展とともに、日本各地から広く崇敬を集め、現在も約3千の分社が日本各地にあります。
八坂神社は、「祇園社」「感神院」などと称したが、明治維新の神仏分離で、「八坂神社」と改称。
【祇園祭】
平安時代のはじめ、都に疫病が流行して、多くの人々が死に絶え、
この災厄の発生を政治的に失脚して処刑された人の怨みによる崇りであろうと考え、
はじめはこの御霊をまつったのですが、怒りは治まらず、より強い神仏が求められた。
この怨霊(御霊)を退散せしめることができるのは、素戔嗚尊のような、
偉大な神格の神に頼るほかないと、祇園社に祀られているこの神に祈ったのです。
怨霊は御霊(ゴリョウ)といい、これを退散させる祭りを御霊会(ゴリョウエ)と称し、
貞観7年(865)6月7日にも行われたことが『三代実録』に記されています。
神泉苑に矛66本を立て、祇園社から神輿を送ったとされています。
これが祇園祭のはじめでした。
7月1日より7月31日まで1ヶ月に及ぶお祭りです。
7月1日の「吉符入」ではじまる祇園祭は、7月17日山鉾巡行、神幸祭、
7月24日の花傘巡行、還幸祭を中心に、7月31「疫神社夏越祭」で幕を閉じます。

平安京建都(794)以前より八坂神社のある東山一帯はひらけた場所で、
渡来人であった八坂造(やさかのみやつこ)一族が住したところであった。
「八坂の塔」で有名な法観寺も平安京以前の創建で、八坂造の氏寺ではなかったかともいわれている。

国の重要文化財に指定されている本殿は、
かつて別棟であった二つの建造物-本殿と拝殿-とを一つの屋根で覆ったもので、
他に類例のない建築様式であることから、「祇園造」とよばれている。

祭典後、境内二ヶ所の「をけら灯籠」に「をけら火」を移します。
「をけら灯籠」の浄火を火縄にうけて帰り、灯明の火をつけ、雑煮を炊き新しい年の幸せを祈ります。

「をけら詣」は京都のお正月を代表する風物詩で、
大晦日の夜を徹して焚かれる「をけら木」から移した
火を消さないように火縄をくるくると回しながら
持ち帰ります。

京都の社寺