永観堂

正式名称は(しょうじゅらいごうさん むりょうじゅいん ぜんりんじ)
聖衆来迎山  無量寿院  禅林寺
第七世法主永観律師(ようかんりっし)にちなみ永観堂
創建は貞観五年(863)、清和天皇より「禅林寺」の勅額を賜う。
本尊(重文)は、
みかえり阿弥陀像

この阿弥陀如来像は東大寺宝蔵に秘蔵されていたが、たまたま永観はその尊像を拝する機会があり、
永観は衆生済度こそ、この仏の本願であり宝蔵にしまっておくのはもったいない、と嘆いた。
これが白河法皇の耳に入り、永観が護持し、供養することとなった。
後年、永観が尊像を背負って京に入る際、東大寺の僧がそれを取り戻そうと追いかけたが、
尊像は永観の背に取り付いて離れず、僧たちはあきらめた。
永保2年(1082)、永観50歳のころである。
2月15日払暁、永観は底冷えのするお堂で、ある時は正座し、
ある時は阿弥陀像のまわりを念仏して行道していた。
すると突然、須弥壇に安置してある阿弥陀像が壇を下りて永観を先導し行道をはじめられた。
永観は驚き、呆然と立ちつくす。
この時、阿弥 陀は左肩越しに振り返り、「永観、おそし」と声をかけられた。
永観はその尊く、慈悲深いお姿を後世に伝えたいと阿弥陀に願われ、
阿弥陀如来像は今にその尊容を伝える。

「おく山の 岩がき紅葉散りぬべし、照る日の光、見る時なくて」古今集
この歌は、
平安時代初期に、永観堂(禅林寺)を創建された弘法大師の弟子真紹僧都の徳を慕って、
自分の別荘を寄進した藤原関雄の詠んだ歌です。
永観堂は仁寿三年(853)の草創以来今日まで、幾多の文化人達の筆や口にもてはやされ、
親しまれて、“モミジの永観堂”としての歴史を持つ。
境内には約3000本の楓(カエデ)が植えられ、特に放生池周辺が美しい。
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