清水寺

音羽山清水寺は、1200年以上前の奈良時代の末、778年の開創。
奈良の延鎮上人が草庵をむすんで千手観音像を彫作して祀ったのが、当寺のおこり。
その翌々年、坂上田村麻呂公が、仏殿を寄進し、ご本尊に十一面千手観音を安置。
桓武天皇も堂塔をお建てになり、805年に清水寺と改められた。
宗派は、北法相宗(きたほっそうしゅう)。単立の一寺一宗である。
西国三十三所観音霊場「第十六番」札所
観音信仰で、観音様がたくさんおられ、今でいう観音様の一大テーマパーク!
【音羽の滝】は、音羽の山中より湧出する清泉で、わが国十大名水の筆頭にあげられる。「清水寺」由来。
【首振り地蔵】:願いのある方向に首を回して願い事をする。
清少納言が『枕草子』で、「さはがしきもの」の例として清水寺の縁日の日を挙げており、
平安時代、既に多くの参詣者を集めていた。
【今年の漢字】バブル期より毎年漢字の日(12月12日)に、(財)日本漢字能力検定協会主催「今年の漢字」。
【仁王門】室町時代、重要文化財。応仁の乱後、15世紀末に再建され、平成15年(2003)解体修理。室町時代の特徴を示し、昔ながらの丹塗り(にぬり)で“赤門”と呼ばれる。
正面軒下に平安時代の名書家藤原行成の筆と伝える「清水寺」の額を掲げ、
両脇間に勇壮な大仁王像を祀る。
清水寺の仁王門前の狛犬は、なぜか二匹とも口を開けた「阿形」。
一人が耳をつけて、反対側をもう一人が叩くと、「カンカン」と澄んだ音が聞こえてくる。
【鐘楼】通常、梵鐘は四本の柱で支えられますが、清水寺の梵鐘は大きくて重いために六本で支えている。
【本堂と舞台】江戸時代初期、国宝。寛永10年(1633)1633徳川家光寄進。
優美な起り反り(むくりそり)曲線を見せる寄棟造り、桧皮葺きの屋根や軒下の蔀(しとみ)戸(と)など、
平安時代の宮殿、貴族の邸宅の面影を伝える。
【三重塔】(重要文化財)1632年再建。高さ約三十m。国内最大級。昭和62年の解体修理の際、
丹塗りの極彩色に復元された。
【清水の舞台】は「懸造(かけづくり)」といわれれ長谷寺や石山寺の本堂も同じ構造。
総桧板張りの「舞台」、最高12メートル強の樹齢400年を越す巨大なケヤキの大木139本を立て並べて支える。釘を使わずに組み立てられています。
舞台は139本の柱を組み合わせて作られている。
2004年夏に【舞台張り替え】約10センチ厚の目がつまって雨に強い土佐産の桧。
約20年に1度張り替え。
江戸前期から幕末までだが残っている記録だけで、234件の飛び降りがあった。
生存率は約85%だったそうです。
【経堂(きょうどう)】江戸時代初期、重要文化財。本堂と共に寛永10年(1633)の再建。
一切経を宝蔵。
【仏足石(ぶっそくせき)】釈尊の両足形を陰刻したもの。「観仏三昧経」
などに仏足を拝めば無限無量の罪けがれも消滅するとあり、手で撫でられ続け、
ありがたい十一種類の文様が摩消している。
【百体地蔵堂(ひゃくたいじぞうどう)】釈迦堂と阿弥陀堂との間の奥に建つ。
子どもを亡くした親たちが、子どもそっくりの地蔵を探しあてて崇拝を厚くし、夏の地蔵盆会に賑う。
【阿弥陀堂(あみだどう)】江戸時代初期、重要文化財。寛永8~10年(1631~33)の再建
法然上人が日本最初の常行念仏を修した所で、上人像も祀っている。
【奥の院】 江戸時代初期、重要文化財。本堂と同期の寛永10年(1633)に再建。
「奥の千手堂」ともいい、本尊千手観音と脇侍地蔵菩薩・毘沙門天、二十八部衆、風神・雷神を祀る。
清水寺開創を起縁する音羽の滝の真上に建ち、元祖・行叡居士と開山・延鎮上人練行の旧草庵跡と伝える。
【子安搭】こやすのとう。本堂南、安産を祈る。平成25年(2013)に修復が完了。

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