北部

鞍馬寺

見どころ
鞍馬寺(くらまでら)の本尊は寺では「尊天」と称しています。
「尊天」とは、毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊であるといいます。

寺の説明によると、「魔王尊」とは、650万年前
金星から地球に降り立ったもので、
その体は通常の人間とは異なる元素から成り、
その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるそうです。
また、毘沙門天・千手観世音・魔王尊はそれぞれが
「太陽・月・地球」および「光・愛・力」を象徴するとのことです。
本殿金堂の毘沙門天・千手観世音・魔王尊はいずれも秘仏ですが、
秘仏厨子の前に「お前立ち」と称する代わりの像が安置されています。
お前立ちの魔王尊像は、背中に羽根をもち、長いひげをたくわえた
仙人のような姿で、光背は木の葉でできています。
多宝塔に安置の魔王尊像も同じような姿をしています。

京都盆地の北に位置し、豊かな自然環境を残す鞍馬山の南斜面に位置します。

鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として著名であり、
大佛次郎の『鞍馬天狗』でも知られる。新西国十九番札所です。

草創については、『今昔物語集』、『扶桑略記』など諸書に見られ、延暦15年(796年)、藤原南家の出身で造東寺長官を務めた藤原伊勢人という人物が毘沙門天と千手観音を安置して創建したとされている。

ジャンボタクシーで鞍馬寺へは門前のコインパーキングに停めさせて頂くことになります。
そこから山門をくぐり、ロープウェイを利用すると山頂の手前まで行くことができます。

場所
京都府京都市左京区鞍馬本町1074番地

貴船神社

見どころ
現在は縁結び、恋愛成就の神様として女性に人気ですが、
本来は水を司る神様で祈雨、止雨の神として崇められ、
祈雨には黒馬、祈晴には白馬または赤馬が献ぜられるのが例であったとされます。
この馬の代わりにできたのが”絵馬”で絵馬発祥の地でもあります。

ジャンボタクシーでは参道下の駐車場に停めれればそこから階段を上がって頂きます。
この辺りは駐車場が少なく、上流まで行き待機させて頂き、
お客様が降りて来られるのを待たせて頂くことが多いです。

川沿いには茶店、旅館が多く特に夏場は川床で賑わいます。
お食事は事前予約されないと待ち時間がもったいないです。

勇壮な「鞍馬の火祭り」で有名な由岐神社から鞍馬寺の本殿金堂、
牛若丸が跳躍の練習をしたという木の根参道を通って貴船へ抜ける山道は
かなり厳しいですが自然豊かな散策道となっています。
絵馬発祥の社ともいわれる貴船神社は和泉式部が復縁を願ったことから
縁結びの神様として、また古くより水の神様であったことから珍しい水占いで全国的に知られています。
観光客がいなければ凛とした静けさの中、あたり一面が樹木に覆われ、
清々しい精気に包まれますので爽快このうえなく、是非とも訪れてみてください。

貴船の川床も貴船神社の周りになります。
夏のシーズンは混みあいますので、昼食予約、
余裕を持った行程でお出かけください。

場所 
京都府京都市左京区鞍馬貴船町180

光悦寺

見どころ
江戸初期の文化人・木阿弥光悦が1615年に家康から与えられたこの地に草庵を結んだのに始まります。
光悦没後、寺(日蓮宗)となった境内には、大虚庵など7つの茶室があります。
竹を斜めに組んだ垣根は光悦垣として知られています。

京都市の北、鷹峯といわれるところを上がって行きます。
貸切バスでは駐車場がないです。ジャンボタクシーなら境内横の駐車場に停めさせて頂けます。
(秋の混雑時は駐車不可の場合もあります)
入口は狭い通路になっていますが、石畳の両脇にもみじが包み込むように迎えてくれます。
中は広く、傾斜地を利用した敷地にお茶室が点在しており、その導線も手入れされたお庭となっています。
特に紅葉で有名です。

料金:大人300円、高校300円、中学300円、小学謝絶
時間:8:00~17:00
2014年7月更新

料金、時間等詳しくは現地へお問合せ下さい。

場所 
京都府京都市北区鷹峯光悦町29

三千院

見どころ
三千院は、また梶井(かじい)門跡と呼ばれ、古くは東坂本に里坊がありましたが、
中世以降、大原魚山の来迎院(らいごういん)、勝林院、往生極楽院などの
寺々を管理するために大原に政所(まんどころ)を設けたのが前身です。
明治になって三千院と公称するようになりました。
比叡山延暦寺を開かれた伝教大師が、東塔南谷に草庵を開いたのに始まり、
その後寺地は時代の流れの中で、京都市中を幾たびか移転しました。
その都度呼び名も変え、特に応仁の乱後、梶井宮の政所であった現在の地を
一時(いちじ)仮(かり)御殿(ごてん)とされたのでしたが、
明治維新までは御所の東、河原町御車小路梶井町(現・府立病院)に御殿を
構えておりました。
元永元年(1118年)堀川天皇第二皇子・最雲法(さいくもほう)親王が
梶井宮に入室され梨本の正統を継がれて以来、
皇族出身者が住持する宮(みや)門跡(もんぜき)となりました。
妙法院(みょうほういん)、青(せい)蓮院(れんいん)、曼殊院(まんこといん)、
毘沙門堂(びしゃもんどう)とともに天台宗五箇室(しつ)門跡(もんぜき)の
ひとつとして歴代の天台座主を輩出してきました。

およそ二六〇〇平方米の境内には往生極楽院をはじめ、
本尊薬師如来(秘仏)・救世観音・不動明王(伝・慈覚大師作)を祀る
宸殿、明治画壇に活躍した下村観山・鈴木松年・竹内栖鳳・
望月玉泉・今尾景年・菊池芳文などの襖絵がある客殿、
そして客殿の前には江戸初期の茶人として有名な金森宗和が
手がけたと言われる池泉鑑賞式の庭園・聚碧園、宸殿前の庭園・
有清園があり、四季折々の景観を楽しむことが出来ます。

場所 
京都府京都市左京区大原来迎院町540

寂光院

見どころ
建礼門院が平家'門の菩提を弔った所として知られ、平家物語にちなんだものも多い。
天台宗の尼寺で、清香山玉泉寺寂光院、玉泉寺の子院であった。
推古2(594)年に、聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために建立。
当初の本尊は、聖徳太子御作と伝えられる六万体地蔵尊、鎌倉時代造立の地蔵菩薩立像(重文)であった。
平成12年5月9日未明、放火により、ご本尊様は大きく焼損。
現在は境内奥の耐火構造の収蔵庫に安置。
【建礼門院(けんれいもんいん)】  第3代の建礼門院徳子(平清盛の息女、高倉天皇の皇后、安徳天皇の国母)は、文治元(1185)年9月に入寺し、源平の戦に破れて遠く壇ノ浦で滅亡した平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を弔い、終生を過ごす。『平家物語』ゆかりの寺。

料金:大人600円、高校600円、中学350円、小学100円
時間: 10:00~16:00
2014年7月更新

料金、時間等詳しくは現地へお問合せ下さい。

場所 
京都府京都市左京区大原草生町676

実相院

見どころ
岩倉の奥にひっそりと佇むお寺ですが、
本堂と四脚門は皇居の旧殿と御門を移築したもので見事です。
本尊は鎌倉時代に作られたと伝わる木造立像の不動明王。
京狩野、江戸狩野の障壁画類の宝庫で、池泉回遊式庭園もあります。
石庭や「床もみじ」が特に有名で、特に11月中・下旬のもみじは美しいです。
大きくはないお寺なのでゆっくりと見て回りたいところです。
ジャンボタクシーでは門前まで行けます。

料金:大人500円、高校500円、中学250円、小学250円
時間:9:00~17:00
2014年7月更新

料金、時間等詳しくは現地へお問合せ下さい。
場所
京都府京都市左京区岩倉上蔵町121

上賀茂神社

見どころ
「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)」の通称で呼ばれる事が多い。
式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。
上賀茂神社は、下鴨神社とともに京都で最も古い神社。
一説には、神武天皇の御代に神山の頂上に創建されたとも、また、七世紀の天武天皇の御代に、この地方を支配していた豪族・賀茂氏の氏神として創建されたとも伝えられる。
下鴨神杜に肥られている玉衣姫命の子供である賀茂別雷命をお祀りして、正式な名前は賀茂別雷神社。
下鴨神社と二つ併せて賀茂神社(賀茂社)、歴代の皇女が斉王として神に仕えてきた。
賀茂別雷命はその名のとおり、雷神様として敬まわれ、厄除け・方除けに霊験あらたかと、現在も広く信仰を集めております。「別雷」とは「若雷」という意味で、若々しい力に満ちた雷の神様のこと。
一ノ烏居からニノ鳥居にかけては、白砂を敷きつめたグランドのよう広場が続く。
ニノ鳥居から奥に約六十棟もの杜殿、その中、江戸時代末に建てられた本殿と権殿が国宝に指定、ほかに四十一棟が国の重要文化財に指定。
賀茂川上流から取り入れられた明神川は、上賀茂神社境内では、御手洗川とか楢の小川と呼ぶ。
風そよぐ ならの小川の夕暮は みそぎぞ夏の しるしなりけり 藤原家隆(小倉百人一首)
下鴨神社と合同で行われる葵祭り(下鴨神社の項参照)のほかに、五月五日の「競馬会神事」と九月九日の「烏相撲」がとくに有名でございます。

○競馬会神事
「競べ馬」の名で親しまれている。一説には、十一世紀末の堀河天皇の御代に始められたという。
当日は、赤黒の二頭により十レースが行われ、その勝ち数によって、その年の豊作か凶作かが占われる。

○烏相撲
祭神の賀茂別雷命の祖父にあたる賀茂建角身命が、神武天皇東征の折に先導した神であり、その時、天皇の弓の先に八咫烏が止ったという故事にのっとり、神前で行われる相撲を烏相撲と呼ぶようになった。

○立砂(盛砂)
盛砂ともいう。ニノ鳥居をくぐった細殿の前に盛られた一対(二つ)の円錐形をした白砂。ご神体である神山を表わし、神様が降りてくる場所、その前で烏相撲が行われる。雨風によって崩れる都度補修され、およそ底辺の直径130センチ、高さ150センチ

○神山
上賀茂神杜の北、標高301m。神様がそこにいらっしゃると信じられ、上賀茂神社のご神体。

社家の町、西村家別邸
上賀茂神社の南側一帯は、美しい家並みが続く、「上賀茂神社の社家の町」として、国の重要伝統的建造物群保存地区(町並み保存地区)に指定。
社家とは神社の神官を世襲する家柄で、上賀茂神社の社家の町には、江戸時代頃までは,140軒程あったそうで、現在でも30軒程の社家の家がある。
いずれの家でも、土塀をめぐらした邸内に、明神川の流れを引き人れた池を中心にして見事な庭園に囲まれた美しい独特の遣りとなっております。
その中で、錦部家の旧宅であった西村家別邸だけが一般に公開されております。

場所 
京都府京都市北区上賀茂本山339

修学院周辺

詩仙堂

見どころ 
正しくは六山寺詩仙堂丈山寺と号する曹洞宗の寺院です。
もとは、江戸時代の文人・石川丈山が、寛永18年(1641)に隠棲のために建立した山荘「凹凸窠(穴編に果)」(おうとつか)で、昭和41年に寺院に改められました。
「凹凸窠(穴編に果)」とは、でこぼこした土地に建てた住居という意味です。
この「凹凸窠」の中心には、中国の漢晋唐宋の詩家三十六人の肖像を
狩野探幽に描かせ、頭上にそれら各詩人の詩を丈山自ら書いて四方の壁に掲げた
”詩仙の間”を中心としているところから「詩仙堂」とよばれています。
詩仙堂を造営したのは石川丈山(じょうざん)。
石川丈山は、天正十一年(1583)、三河国(現在の愛知県安城市)に生まれ、
徳川家康に仕えていました。
京都に住んでからは一流の文化人たちと交わり、
茶道においては煎茶の奥義を極めました。
晩年はこの地で悠々自適の生活を行い、90歳の天寿を全うしました。
回遊式の庭園は、白砂と皐月の刈込が美しく、フジ、花菖蒲、杜若(かきつばた)、あじさい、はぎ、さざんか、など、四季それぞれに美しい姿が楽しめます。

場所 
京都府京都市左京区一乗寺門口町27番地

赤山禅院

見どころ
比叡山延暦寺の別院。 創建は仁和四年(888年)。
円仁(慈覚大師)は入唐して大陸登州の赤山法華院に一時身をおきました。
帰朝して日本に赤山禅院の建立を思い立ったが、果たせず、
遺言で弟子の安慧が仁和四年に赤山明神(唐名で泰山府君)を
この地に勧請、比叡山東の日吉社とともに天台の鎮守としました。

鬼門を守る。
(赤山大明神)というのは陰陽道の神様。つまりは、神様を祀っている。
それでは、ここは神社かというと、比叡山延暦寺の別院。
そもそも、慈覚大師円仁が中国は唐は赤山法華院で修行したことに起源を持っている。
慈覚大師は帰国後に日本にも赤山禅院を建立しようとし、その意思を受け継いで弟子の安慧が仁和4(888)年に勧請したのが赤山禅院。
このように由来からすると、赤山禅院は神社というよりは寺院ということになる。

ここは京の表鬼門で方除けの神として信仰も篤かった。また陰陽道の祖神の流行もあり、疫病・災除けの神としても崇敬された。
京の盆の五山の送り火の大文字はこの慈覚大師の遺徳をしのんだものとされる。

本殿
近世には商売擁護の神としての信仰を集め、懸寄神(かけよせ)とも称された。俗に五日払いと云って五日を懸取日とする商慣習が始まったのは、赤山社の賽日(さいび)が五日であるのにちなむ。この日に参詣して集金すればよく集まると伝わる。
大陸から渡来した赤山明神が掛け売りの神として日本で信仰されて長い歴史を持つのだが、大陸では掛け売りの風習はない。

都七福神の福禄寿神を祀る。
紅葉が大変美しく、参道はもみじのトンネルになります。
また、ここには寒桜があり、紅葉と桜が同時に楽しめます。

場所
京都府京都市左京区修学院開根坊町18

曼殊院

見どころ
最澄が比叡山に建立した一坊を起こりとする天台宗の寺院で、
青蓮寺、三千院、妙法院、毘沙門堂と並ぶ天台五箇室門跡の一つです。
門跡とは、皇族や摂関家の子弟が代々門主となる寺院のことで、曼殊院では、
1495年に伏見宮貞常の子、慈運大僧正が入手したことに始まります。

初代門主の是算(ぜさん)国師が菅原家の出身であったことから、菅原道真を祭神とする
北野天満宮との関係が深く、平安時代以降、明治維新に至るまで、曼殊院門主は
北野天満宮の別当職を歴任しました。

数度の移転を経た後、良(りょう)尚法(しょうほう)親王(しんのう)により、江戸初期に現在地に移されました。
良尚法親王は桂離宮を造った八条宮(はちじょうみや)智(とし)仁(ひと)親王(しんのう)の子で、父宮に似て、茶道、華道、書道、造園等に優れ、大書院や小書院の棚や欄間、金具など、建築物や庭園の随所にその美意識が反映されています。

拝観時間 9:00~17:00(受付は~16:30)
拝観料 一般600円 高校500円 中小学生 400円
所在地 〒606-8134 京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
2014-07-15更新

 

圓光寺

見どころ 
圓光寺は、慶長6年(1601)、徳川家康が伏見に開いた学問所が起源で、
後に相国寺の境内に移りましたが、寛文7年(1667)にここへ移されています。
伏見の頃の圓光寺は、特に朝鮮から輸入した木版活字を使った書籍の出版活動を
していたことが有名で、これらは伏見版、圓光寺版といわれいます。
圓光寺には今も伏見版木活字52320個が残っていて、陳列されています。
本堂には本尊として千手観世音坐像を安置し、禅堂は十二代住持南嶺尼が
尼僧の専門道場としたことで知られます。
現在は南禅寺の研修道場です。
栖龍池と水琴窟のある庭園「十牛の庭」は、紅葉の名所としても有名です。
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拝観時間:午前9時~午後5時
拝観料: 大人500 円 高・中 400 円 小300 円
〒606-8147 京都市左京区一乗寺小谷町十三番地
2014-07-15更新

金閣寺周辺

金閣寺

見どころ 
金閣寺は舎利殿(シャリデン)金閣が余りにも有名なため、
通称金閣寺とよばれていますが、正しくは鹿苑寺(ロクオンジ)です。
足利義満が造営した北山殿がもとになっています。
義満の死後北山殿は義満の遺言により禅寺となり、
義満の法号である鹿苑院殿より鹿苑寺となり、臨済宗相国寺派に属します。

その中の舎利殿が金閣で、一層に釈迦三尊が安置され、二層目は観音殿、
三層に仏舎利がおさめられました。
二層と三層は、漆(ウルシ)の上から純金の箔が張ってあり、
屋根は椹(サワラ)の薄い板を何枚も重ねた柿葺(コケラブキ)で、
上には中国でめでたい鳥といわれる鳳凰(ホウオウ)が輝いています。
一層は寝殿造(シンデンヅクリ)で法水院(ホッスイイン)、
二層は武家造(ブケヅクリ)で潮音洞(チョウオンドウ)とよばれています。
三層は、中国風の禅宗仏殿造で究竟頂(クッキョウチョウ)とよばれ、
三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建物と言えます。

本山相国寺と共にいずれも同じ夢窓国師を追請開山としています。

現在、境内約132,000㎡(4万余坪)の内、92,400㎡(2万8千坪)が鹿苑寺庭園として
特別史跡及び特別名勝指定地。
中心をなす鏡湖池(キョウコチ)は約6,600㎡(約2千坪)

昭和25年(1950)7月2日見習い僧侶であり大谷大学学生が放火し、
国宝の舎利殿(金閣)46坪が全焼。
現在の金閣は国や京都府の支援、地元経済界などからの浄財により、
昭和30年に再建されたものです。
金閣は明治時代に大修理が施されており、
その際の詳細な図面をもとに忠実な再現が可能となりました。

昭和62年(1987)秋、漆の塗替えや金箔の張替え(総工費7億4千万円)、
更に天井画と義満像の復元を行いました。
10.8センチ四方の金箔約20万枚(約20キロの金)を使用。
張り替え前の10倍の量で、金箔の厚さは5倍でそれを二重に貼った。
国産漆約1,45トン、65工程をかけて塗る作業が行なわれた。
平成15年(2003)春に屋根の葺き替えを行いました。

【夕佳亭】: 江戸時代の茶道家・金森宗和が好んだ数寄屋造りの茶席で、
夕日に映える金閣が殊に佳いということから「夕佳亭(せっかてい)」と名づけられました。
正面の床柱が「南天の床柱」で、三角の棚が「萩の違い棚」、中央の古木が「鶯宿梅」です。
1997年に解体修理が行われました。

金閣

お庭 鐘楼

参拝時間:午前9:00〜午後5:00
参拝料金:大人(高校生以上)400円
小・中学生 300円
2014-07-15更新

場所 
京都府京都市北区金閣寺町1

大徳寺

見どころ
1319年大燈国師宗峰妙超禅師宗峰妙超開創。
臨済宗大徳寺派大本山。山号を龍寶山(りゅうほうざん)。
本尊:釈迦如来、
開基:大燈国師宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)、1325年創立。
後醍醐天皇などの深い帰依を受け繁栄を極め、京都五山の上に置かれていたが、応仁の乱で焼失。その後、一休さんが再興。
禅宗寺院で、仏殿、法堂をはじめとする中心伽藍の他、22の塔頭。
茶の湯文化とも縁が深く、本坊および塔頭寺院には、建造物、庭園、障壁画、茶道具、中国伝来の書画など、多くの文化財。
侘び茶を創始した村田珠光(じゅこう)などの東山文化を担う人びとが一休に参禅して以来、大徳寺は茶の湯の世界とも縁が深く、千利休をはじめ多くの茶人が大徳寺と関係をもつ。
【勅使門】(重文)慶長年間(1596年-1614年)建立の御所の門を下賜、寛永17年(1640年)移築。
【三門】(重文)二層の山門。連歌師(れんがし)・宗長(そうちょう)の寄進で1529年に下層のみが竣工し、1589年、千利休が上層を完成させて金毛閣と名づけた。
【総見院】 - 豊臣秀吉が織田信長の菩提のために建立。
【芳春院】(ほうしゅんいん)アンディ・フグ:K-1選手。2000年8月24日、急性白血病により35歳で死去。 加賀の前田利家の夫人芳春院が建立した塔頭で、前田家の菩提寺です。
一休さん
「一休小純(そうじゅん)」、文明六年(1474)、81歳の高齢で大徳寺住職。
生い立ち不明、後小松天皇のご落胤(らくいん)ではともわれるが、世捨て人に近い生活を送っていた。
その人柄は多くの人に敬愛され、堺の豪商や戦国大名達とも交流を深め、多大の援助を受けた。
一休さん亡き後も、大徳寺は諸大名達から多くの寄進を受けて栄えた。
豊臣秀吉は織田信長の葬儀をこちら大徳寺で盛大に執り行いました。
一休さんは風変りな奇行の多い人だったそうで、朱鞘の木刀を腰に差し、飲酒肉食はもとより、男色や女犯を行い側女まで置いていた。88才で京田辺市の酬恩庵(しゅうおんあん)で亡くなるが、臨終に際し「死にとうない」。
大徳寺納豆
麹菌を発酵させ、乾燥後に熟成させたもの。室町時代に中国から渡来。
大徳寺には一休が伝え、以来、大徳寺の僧により作られた。
大徳寺と千利休  秀吉の怒りについては、様々な説。
利休は三門の楼上に自分の木像を置き、激怒した秀吉によって切腹。
女好の秀吉が美しい利休の娘・お吟を差し出すよう命じたが利休が断った。利休が自分の地位を利用して茶器などを高値で売っていたから。
大徳寺の主な塔頭
龍源院・大仙院・瑞峯院・高桐院の四つが常時公開されております。
○龍源院:1502年創建。大徳寺塔頭の中で最古。方丈を囲む四つの庭。
○大仙院: 1509年創建。創建当時建立の本堂は国宝。枯山水庭園。
後に大徳寺住職となる沢庵和尚が七代目住職を務めた。
○瑞峯院: 1535年、大友宗麟が創建。方丈・唐門・表門が国指定重文。
○高桐院: 1601年、細川忠興が創建。忠興と夫人・ガラシャの墓。
○黄梅院:織田信長が建立。蒲生氏郷の墓がある。
〇三玄院:石田三成・浅野幸長・森忠政の三氏が建立。
○真珠庵:一休宗純ゆかりの寺。庭園は国指定史跡・名勝
○芳春庵:加賀前田家の菩提寺。
○聚光院:狩野永徳筆の障壁画が国宝。利休のお墓
○総見院:豊臣秀吉が織田信長の菩提のために建立。
○龍光院:黒田長政の建立。有栖川宮家の墓所。
○孤蓬庵:境外塔頭。小堀遠州が創建。松平不昧公(ふまいこう)が再建。

山門は、二階部分が、千利休居士によって増築され、
金毛閣と称し、利休居士の像を安置したことから秀吉の怒りをかい
利休居士自決の原因となったことは有名な話です。

場所
京都府京都市北区紫野大徳寺町53

北野天満宮

見どころ 
通称、天神さん・北野さん。旧社格は官幣中社、二十二社。
京都市民からは「てんじんさん」の愛称で呼ばれています。
毎月25日に縁日が開かれ、多くの参拝者や観光客で賑わいをみせます。

菅原道真を主祭神とし、特に学問の神として知られ多くの
受験生らの信仰を集めています。福岡県の太宰府天満宮とともに
天神信仰の中心となっており、当社から全国各地に勧請が
行われています。
境内の梅が見頃となる道真の祥月命日2月25日には
約900年も続くとされる梅花祭が行われ、多くの
参拝観梅者の中、上七軒の芸妓・
女将が総出で「野点大茶湯」を催してくれます。

北野天満宮梅
菅原道真公(845~903)は右大臣として活躍。
延喜3年(903)2月25日、無実の罪も晴れぬまま太宰府で亡くなる。
2月25日祥月命日の梅花祭。
現在の本殿(国宝)は慶長十二年(1607)、豊臣秀頼公が造営。
この時作られた中門、東門、絵馬堂、神楽殿、校倉等も現存。
菅原道真公(天神様)は、承和十二年(845)六月二十五日の御誕生、この年は「丑歳」、
牛にまつわる縁起が多く伝えられ、牛は、牛は天神様の神使(お使い)。
【お土居】溝を掘り、その土を内側に盛り上げて高さ4,5mの土手とし、
それに竹を植え込んだ。総延長は22.5km。
【北野大茶湯】(きたのだいさのえ)参道右の松原が秀吉が1587年10月1日に開いた茶会の場所。
集まった人はざっと1500人。

場所
京都府京都市上京区馬喰町

妙心寺

見どころ 
京都市右京区花園にある臨済宗妙心寺派大本山の寺院。
山号を正法山と称します。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は花園天皇。
花園法皇が関山慧玄(かんざんえげん、無相大師)を
開山(初代住職)に請じて離宮を禅刹に改めた
もので、一時廃絶しかけましたが応仁の乱以後、
武士層の崇敬を受けて諸大名が帰依したため
飛躍的に発展しました。
日本にある臨済宗寺院約6,000か寺のうち、約3,500か寺を
妙心寺派で占める。近世に再建された三門、仏殿、法堂(はっとう)
などの中心伽藍の周囲には現在47ヶ寺の塔頭があり、
臨済宗九派のうち最大の規模となっています。
平安京範囲内で北西の12町を占め自然も多いため、
京都市民からは西の御所と呼ばれ親しまれています。
南から北へ一直線に並ぶ山門、仏殿、法堂、方丈、
寝堂の建造物は全て重要文化財であり、日本最古の
黄鐘調の銅鐘は国宝です。
法堂の狩野探幽の作になる天井龍は
“八方にらみの竜”の名の通り、どこから見ても豪快な
迫力を持って見る者を引き寄せます。
山水画の祖といわれる如拙の作の「瓢鮎図」や庭園で
名高い退蔵院、コケの美しい「阿吽庭」を抱く大心院、
桂春院など秘蔵の宝物を有する塔頭がいくつもあります。

場所 
京都府京都市右京区花園妙心寺町64

龍安寺

見どころ
石庭で有名。白砂と石を組み合せた禅味あふれるこの枯山水庭園は史跡及ひ
特別名勝になっている。寺宝に紙本墨書太平記12冊(重文)。
他に茶室蔵六庵、龍安寺垣なども。

臨済宗妙心寺派の寺院。山号は大雲山。本尊は釈迦如来、開基は細川勝元。
守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺で、
藤原北家の流れを汲む徳大寺家の山荘であったところを、譲り受けたものである。
龍安寺は、応仁の乱(1467-1477年)で焼失。勝元の子の細川政元と、
4世住持・特芳禅傑(どくほう-ぜんけつ)によって長享2年(1488年)に再興された。
その後、豊臣秀吉と江戸幕府が寺領を寄付して保護している。
現在の堂宇は、寛政九年(1793)の火災で焼失したものを再建したもの。
方丈は、塔頭の一つ西源院の方丈を移したもので、
慶長十一年(1606)建立の典型的な禅宗寺院の方丈として国の重要文化財に指定されている。
境内には細川勝元夫妻をはじめ、細川家代々の一族が葬られておりますし、
あの真田幸村のお墓もある。

鏡容池(きょうようち)の周囲は、回遊式庭園になっている(国の名勝)。
境内北側には方丈(本堂)、仏殿、茶室蔵六庵などが建ち、これらの西側には非公開の「西の庭」がある。

「方丈石庭」幅 22 メートル、奥行 10 メートルほどの敷地(約75坪)に白砂を敷き詰め、
帚目を付け、15個の石を一見無造作に5か所、点在させただけのシンプルな庭である。
巨大な中国の山水の世界を日本人独特の感性を研ぎ澄まして写した「枯山水」の庭で、
禅の美を極めた空間。最大の特徴は、「水を感じさせるために水を抜く」ということで、
水を見立てられるようなものをつくる。白砂も大海をイメージし、岩は島というより山である。
15個の石は、庭をどちらから眺めても、
必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されているという。
しかし、中の部屋から1ヶ所だけ15個の石すべてが見える位置がある。
東洋では十五夜(満月)にあたる15という数字を「完全」を表すものとしてとらえる思想があり、
15に一つ足りない14は「不完全さ」を表すとされている。
知足の蹲踞(つくばい) - 茶室蔵六庵の露地にある。蹲踞は茶室に入る前に
手や口を清めるための手水を張っておく石のこと。
ここの蹲踞には「吾唯足知」(われ、ただ足るを知る)の4字が刻まれているが、
その意味合いから石庭の石が「一度に14個しか見ることができない」ことを
「不満に思わず満足する心を持ちなさい」という戒めでもあるといわれる。
徳川光圀の寄進とされる。

山門: 江戸中期に建立。 コケが見せる浄土の世界や石庭が語る神の世界へと人々をいざなう入り口。
参道: 脇を飾る「龍安寺垣」。
特徴は透かしの部分に割り竹を菱形に張っていることで、
菱形のデザインは柱やカーブにも対応しやすく、長い距離に適した竹垣です。
勅使門: 昭和50年、英国のエリザベス女王夫妻が参拝された際にはこの門から入り、
方丈から石庭をご覧になられた。
料金:大人500円、高校500円、中学300円、小学300円
時間:8:00~17:00 12月~2月8:30~16:30
2014年7月更新

料金、時間等詳しくは現地へお問合せ下さい。
場所 
京都府京都市右京区龍安寺御陵ノ下町13

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