この記事では、弊社の周辺で、歩いて行ける距離にある「京都が世界に誇る伝統文化」の西陣織の現場と、そこで今も伝統を紡ぐ数少ない職人さんについて記録に残しておきたいと思います。
私たちが行う西陣の職人たちと出会うツアーには、ここ西陣の地から発信したい特別な思いがあります。
着物は日本が世界に誇る素晴らしい文化ですが、実際に着ている人がたくさんいるかと問われると…「ほとんどいない」というのが現状ですよね。
もちろん、冠婚葬祭やその他の行事で着物を着る機会や、習い事とかお出かけの際に着物を着るようにしているという方がいないわけではありません。
しかしながらこの日本であっても、洋服と比べると「圧倒的に少ない」というのが実際のところです。
では、京都の特別な地域「西陣」でどのように西陣織が生まれ、繁栄し、そして衰退に向かうことになったのでしょうか?
目 次
京都の特別な伝統工芸「西陣織」
京都でウロウロしていると、創業100年以内のお店を見て「まだ新しいね」なんていう会話が普通にあり、「えっ!!新しい!??」となったりしますが、西陣織の歴史といえば比べ物にならないほど古いものです。
西陣織はなんと古墳時代まで遡ります。
もちろん繁栄するまでに紆余曲折あり長い時間が経過していますが、「はじまり」は大変古いのです。
数字で残っているのは、5~6世紀というものです。
この時の渡来人である「秦氏(ハタ)」の一族が養蚕と絹織りの技術を持ち込み、京都の地に定住したと言われています。
ここ西陣では通りを歩くと「ガッシャンガッシャン」と機織り機の音が聞こえてきますが、この「機織り(ハタオリ)」という漢字、ちょっと不思議ですよね?
「機」という字を「ハタ」と読ませている。
これは一説によると「ハタ氏が伝えたからハタ織りと名付けられた」とも言われています。
その真偽はさておき、
- 京都に織物の原料と作り方の知識が伝来
- 織物業が発展
- 宮廷の貴族が各地から優秀な職人を京都に集める
- 最高級のものを作らせる過程で職人の技術はどんどん熟練し向上
- 西陣織という名になっていく
- その西陣織も発展の後幾度もピンチを迎える(応仁の乱や大火事など)
- しかしピンチをはねのけ再度発展する
- 発展と衰退を繰り返しながら今に至る
非常にざっくりとではありますが、長い歴史の中で脈々と職人技が引き継がれ常に向上してきた経緯がうかがえます。
とにかく西陣織の技術は非常に精緻で複雑であり、だからこそ鮮やかでほかにはないため息の出るような細やかな美しさを放つのですね。
西陣織は世界へ誇れる京都の特別な文化
西陣織はまた、服飾文化以外への多大な発展にも一躍買っています。
例えばこちらも日本が世界に誇るTOYOTA自動車。
トヨタは元々、「豊田自動織機」という織物の機械化を目指して織機を開発していた豊田佐吉の長男が、豊田自動織機製作所の中に自動車部を設立し、自動車業へと発展していった経緯があります。
西陣織の織機の動力技術が自動車作成技術に繋がったのですよね。
凄いことですよね、これは。
細分化された工程と複雑な作業
また西陣織の最大の特徴と言えば、その複雑な工程と、その工程ごとに職人がいるということです。
一着の着物ができるまでの行程は20を超え、その一つ一つに専門の職人がいて、またさらに細かく「糸を通す」「機械を調整する」といった作業も専門の人がいる為、職人数もかなりのものです。
西陣織は、絹の糸を染めてから、その糸を使って仕立てていきます。
その「糸を染める」という時点でも、多くの職人が関わっており、それぞれ特殊な技術をお持ちです。
- 糸の洗浄
- 糸の配色
- 糸の染色
- 染め上がった糸の乾燥
- 出来上がった糸を捲く行程
こういった一つ一つの作業がなんと未だに機械のみではなく、職人の手仕事として行われているんですね。
そこから、織るまでにまたまた織機に糸をセットする職人さんがいて・・・と気の遠くなるようなとにかく物凄く人の手がかかるのが西陣織です。
京都西陣の職人と特別な現場
西陣織の着物を仕上がった状態で見ることは出来るとしても、そこに至るまでの様々なことは、現場でしか見ることができません。
では、西陣の現場の職人さんはどんな人なのか、西陣織を作る現場はどんな雰囲気の場所なのか。
これは、文章で伝えるのは語弊がありそうですごく難しいのですが、実際にお邪魔してお話を聞かせいただくと、「え?こういう感じ??」と驚いてしまうぐらい小さな場所であったり、ある意味身近な雰囲気の建物であったり、とはいえ置いてあるものは全くわからない道具や部品であったり、本当に不思議な空間です。
職人さんも様々な方がいますが、気さくで一見普通の方々、しかしとんでもない技術を持ち、サラっといとも簡単そうに信じられないほど複雑なことをされている。
本当に不思議で何度見ても普通の人間ではないことしかわからない(笑)、そんな方々です。
職人の鋭い目と特別な手
私もこれは本当に最初驚いたのですが、糸を染める段階からもうマジシャン登場です(笑)。
なんと機械ではなく、職人さんの確かな目と熟練の手で染料を選び、混ぜ合わせながら色を作っていく。
しかも染料によっても、また見る場所によっても色の見え方が違うため、職人さんが調合して様々な光(自然光・蛍光灯・暗め・明るめ)の加減で確認し、染料の種類も変えていく。
こんな複雑なことをお玉片手に飄々と見せてくださいました。
「え??このお玉ですくって??」と本当にびっくりしました。
さらに、一言で「染める」と言っても、染まり具合や乾き具合は天候によっても時間によっても変わってくるとの事。
だからこそ、色を調合して作る職人さんと染める職人さんは別の職人さんですし、乾かすのもまた熟練の職人さんです。
さらにいうと、乾いた後に手で触って「糸の状態を確かめる」のも職人さんが実際に、両手でクルクルと糸を回しながら最適な捲きの角度・最適な糸と糸の間隔を皮膚感覚と視覚で見定めておられるのです・・・。信じられない・・・。
教える人・引き継ぐ人・伝統工芸士
西陣織の職人さんにお話を伺うと、「西陣織っていうのは家内工業ですわ」と仰います。
「家内工業」を辞書で引くと、
家族従業者を主体に,自己の住宅を作業場所として営む工業の形態。
作業が労働者の〈家庭〉で行われるので,英語では〈ドメスティック・インダストリーdomestic industry〉というが,問屋が仕事を〈下請けに出す〉ので〈プッティングアウト・システム〉とも呼ばれる。家内工業は道具と熟練に技術的基礎をおいている。
引用:コトバンクより
とあります。
ほとんどの職人さんが、自宅工場のような形で、住宅内に機械を置き、家族の方と通いで働かれている職人さんたちと一緒に朝から晩まで仕事をされています。
祖父から父へ、父から息子へ、奥さんと子どもたちへ、と家族の中で紡がれてきた技術の継承。
そして、新しい代になって取り入れたことが混ざり合って、西陣織はここまで長きにわたって残ってきました。
その中でも、すごいスピードで職人さんは減ってきた歴史があり、80代90代の職人さんも現役だったりします。
「うちは70でも若手ですわ」と仰っていた言葉が非常に印象的でした。
そうなると減っていく職人と消えゆく技術を食い止めるには、一人の職人さんが何役も担わなければならないことになります。
分業だった部分でも、「もうこの機会を触れる人がいない」「この部品はもう作られていない」というピンチの連続を、なんとか技術を学び試行錯誤して、一人でできる部分を増やしていく。
そうやって30代で「伝統工芸士」として認められた職人さんが西陣におられます。
伝統的工芸品の製造に従事し技術・知識・経験が優れている職人に対し、(財)伝統的工芸品産業振興協会より「伝統工芸士」の称号が授与されます。
作品の審査や筆記・実技試験に合格しなければ得られない国家資格です。引用:京都府ホームページより
今も現場に立ち、様々な年齢の様々な職人さんたちと働いておられる職人さん。
その職人さんから直接お話をお聞きできるのは本当に特別で幸せなことだと思いました。
職人さんの手というのは、どうしてあんなに光っているのでしょう。
繊細でち密な作業を、数えきれない回数繰り返してこられた証ですよね。
西陣織を売る人・新たな仕事を作り出す人
職人たちが手間暇かけて素晴らしいものを作ったとしても、それを買ってくれる人がいなければ生活も成り立ちませんし、伝統も途絶えます。
家内工業と言えど、自分たちで営業もし、アピールもしていかなければ西陣織の美しさ・素晴らしさを広めることができません。
従って、各地の百貨店に職人さん自ら出向いてお客様に売り込んだり、着物イベントを企画して開催にこぎつけたり、多大な努力をされている姿も目の当たりにします。
インターネットで何でも調べられる時代ですが、西陣織の美しさは目で見て触れてわかる凄味があります。
だからこそ、着物好きの方はもちろん、それ以外の方にも若い世代にも何とかして西陣織を届けたい、その熱意が伝わってきます。
そうやって「ものづくり+売る努力+知ってもらう機会創出」と、多方面に尽力されている職人さんの姿はかっこいいです。
京都西陣の消えゆく特別な文化
京都市内、特に西陣では、
- 通りを歩けば早朝から夜までガシャンっガシャンっと機織り機の機械音が聞こえる
- 小学校の同級生は西陣織関係の職人さんの家庭が複数
というのが以前は当たり前でした。
しかしながら、この「当たり前」はものすごいスピードで様変わりしました。
生活様式と便利さ・不便さ
日常的に着物を着ている人というのは、ここ京都と言えどほとんど見かけません。
もちろんお茶やお花の先生、旅館の女将さんや仲居さん、舞妓さんや芸子さんなど、職業的に着物を日常的に着ている方はいますが、それ以外では圧倒的に少ないです。
洋服が主流になってからも、
- 女性の社会進出
- どんどん安くてシンプルなものが流行
- 異常気象で暑すぎる時期の長期化
などなど、様々な理由で服の着方も徐々に変わりつつありますよね…。
着物は美しいし、着ると所作も気持ちもシャンとします。
それはとても日本人として素敵なことですし、大事だとも思います。
ですが同時に思うのは、「不便を良しとする、遊びとして面白がる」というのは、時間にも心にも余裕がないと難しいですよね…。
かかる工程・かかる手間・かかるお金
西陣織は、繰り返しになってしまいますが、本当に行程が多く複雑です。
白い糸を折るのではなく、絹糸を染めるところから始まります。
デザインも配色も実際の機織りも、その中でたくさん工程があり、職人さんがいます。
- 行程が多いということは、手間がかかるる
- 手間がかかるということは、人手がいる
- 人手がいるということは、その分お金もかかる
だからこそ、西陣織は着物の中でも最高級品であり、高価な事は明白です。
実際に西陣織の商品を見てから、現場を見て、職人さんに会う。
そういう順番だからこそわかることがあります。
この目に焼き付けておきたい西陣の今の姿
着物自体が衰退産業と言っても過言ではないかもしれません。
そして、西陣織は消えゆく文化なのは間違いないと思います。
残念ですが、そう思います。
感情的には「残してほしい」と切に願う気持ちですが、じゃあその言葉に責任を持って自分が何かできるかというと、正直思いつきません。
これから毎年着物を買ったりすることは人によりますが、一般的には難しいとも思うからです。
だからこそ、「伝える」ということの一端を担えれば。
その思いです。
今の西陣織の現場を伝えたい、それは全ての職人さんたちの願いでもあると思います。
まとめ
私たちは言わば生き証人です。
現在の情報社会で私たちは、今目の前で見ているものが、過去から現在にどう変遷していったのかをすぐに知ることができます。
そしてそれが未来にどうなっていくかを、すごいスピードで目の当たりにしています。
簡単に何でも調べられる時代だからこそ、字や写真などの「動かないもの」ではなく、目の前で今「実際に動いていること」に焦点を当てたい。
自分の目で見て、直に特別な思いや話を聞いて、心で感じたい。
弊社は旅行会社ですが、「旅行」というのは、そういう特別なものを実際に自分自身で確認できる作業でもあるのだな、と最近つくづく思います。
というわけで、いくら貴重なものとわかっていても確実に残していくことは至難の業であり、文化とは消えゆくものと新たに生まれるものの組み合わせでもあります。
西陣の地を実際に歩き、今現在の西陣織を担う職人に会う。
これはもう数十年後には叶わないかもしれない、消えゆく可能性の高い文化でもあります。
だからこそ、それを目に焼き付けることができるのは幸せなことかもしれません。
実際に西陣織の職人さんに会ってみたい、今の西陣を自分の目で見てみたいという方は、是非ともお気軽にお問い合わせくださいね。