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仁和寺(にんなじ)

右京区御室大内33
電話:461-1155
FAX:464-4070
料金:大人500円、高校500円、中学300円、小学300円
時間:9:0O~17:0O 12月~2月16:30まで
真言宗御室派の総本山で、御室御所とも呼ばれた。
茶室の遼廓亭・飛濤亭は重要文化財。
「御室御所」の名の通り、代々法親王が住持した。
明治時代に至るまで、皇子や皇族が歴代の門跡(住職)を務めた。明治維新以降は、仁和寺の門跡に皇族が就かなくなったこともあり、「旧御室御所」と称するようになった。

この寺を完成させた宇多天皇には、真夏に「雪見がしたい!」と衣笠山を白布で覆わせたという大物らしい伝説も残る。
宇多天皇(うだてんのう、867年- 931年は、日本の第59代天皇。

平安貴族も桜会を催した仁和寺の御室桜は京都一の遅咲きで、高さ2mほどとその低さが特徴です。
寺紋も桜で、桜のモチーフの意匠があちこちに見られます。
応仁の乱で全て焼きつくされてしまいますが、寛永年間に将軍家光の堂宇寄進と同時期に再び植樹されたのが現在の桜です。
花が低いことから鼻が低いお多福桜ともいわれます。

 仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって鎮護国家・仏法の興隆を図るため「西山御願寺」(にしやまごがんじ)と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。
 しかし光孝天皇は志なかばにして崩御せられ、次の第59代宇多天皇が遺を継がれ仁和4年(888年)に完成され「仁和」の年号をもって仁和寺(にんなじ)と呼ばれるようになりました。
宇多天皇が仁和寺第1世門跡宇多法皇となり入山されてからは、江戸時代終わりまで皇室出身者が代々門跡を務める事となります。
 しかし応仁元年(1467)に始まった「応仁の乱」によって仁和寺は一山ことごとく兵火で焼失するという悲運に見舞われました。
応仁の乱から約150年後の江戸時代に入ると、当時の仁和寺門跡でありました覚深法親王が徳川幕府3代将軍家光と復興援助を約し、現在の仁和寺が再興されるところとなりました。
建物の多くは明治二十年(1887)の大火以降に再建されたものですが、桃山時代の皇居の紫辰殿(ししんでん)を移築した金堂は国宝、同じく清涼殿を移築した御影堂(みえいどう)以下十四棟が国の重要文化財

1827年に、仁和寺第29世門跡であった済仁法親王が、四国八十八箇所を巡拝が出来ない人々のために発願し、仁和寺寺侍に命じて、四国八十八箇所を巡拝して、各札所の砂を持ち帰らせた。仁和寺境内の成就山に四国八十八箇所を模して、同じ数の88宇の堂を設けて、持ち帰った砂を設けた堂に埋めたことが起源とされる。
成就山に四国八十八箇所霊場を小規模に再現した巡礼地である。各札所にあたる小規模な堂が約3キロメートルの山道沿いに点在する。88宇の堂には実際の四国八十八箇所の札所の寺院と同じ本尊と弘法大師を祀ってある。

2013年7月更新

2013-05-08
仁和寺 仁和寺

2012-04-18
御室桜 仁和寺お庭

御室桜 御室桜

仁和寺 山門

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