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広隆寺(こうりゅうじ)

右京区太秦蜂岡町32
電話:861-1461
料金:大人700円、高校500円、中学400円、小学400円
時間:3月~11月9:00~17:00
2月~12月16:30まで
真言宗大本山。山城最古の寺院で、聖徳太子建立の七大寺のひとつ。
国宝第1号の弥勒菩薩など20点の国宝をはじめ、各時代の仏像・文化財が
数多く残されている。
2013年3月更新

詳細
京都最古の寺であり、国宝の寺として知られる広隆寺
東映太秦映画村と東映京都撮影所の南隣りあります。
国宝として第一番目に指定された弥勒菩薩半伽思惟像を所蔵することで
有名な広隆寺は、秦氏の氏寺として創建され、
現在は真言宗御室派の別格本山となっています。
山号を蜂岡山と称し、蜂岡寺とも、秦公寺、あるいは、太秦寺とも太秦広隆寺
また、太秦の太子堂などと呼ばれ、
聖徳太子像を本尊とする聖徳太子信仰のお寺です。
お寺の言い伝えによりますと、推古天皇十一年 (603)に、百済(くだら)から
献上された弥勒菩薩半跏思惟像を秦河勝(はたのかわかつ)が
聖徳太子から賜ってこのお寺を創建したということで、
もとは葛野郡九条河原(現在の西京極川勝寺辺り)にありましたが、
平安遷都(794年)とともに今の所に移されてきたということです。
様々な技術とともに養蚕方法をも伝えた秦氏の住まいに蚕が多く飼育されていて、
初めて蚕を見た当時の人達は蜂の子と聞違え、蜂の多い岡と思い、
秦氏一族の住んでいた所を「蜂岡」と呼んだと伝えられています。
広隆寺も創建当初は蜂岡寺と称し、
弥勒菩薩半跏思惟像を本尊としていたのです。
広隆寺の名を有名にしているこの弥勒菩薩半跏思惟像は高さが一二三・三センチ、
坐高が八十四・ニセンチ、アカマツ材の一本造りで、
右手を頬(ほお)に軽く当て思索のポーズをとっています。
飛鳥仏の最高傑作といわれますが、朝鮮半島で制作されて日本に持ち込まれたとも、
朝鮮半島から持ち込まれた霊木を日本で彫刻したとも言われており定かではありません。
弥勒菩薩とは、釈迦が亡くなられてから五十六億七千万年後の荒れ果てた世界に
現れて入々を救い、釈迦の後継者になると信じられている菩薩様で、
別名・未来仏とも呼ばれています。
その柔和で気品のあるお姿は、見る者の心を限りなく和ませてくれます。
訪れる外国の方からは「東洋のモナリザ」と称され、
ドイツの哲学者力ール・ヤスパース氏は「人間実存の最高の姿」と
絶讃しています。
建物は、戦乱や火災などで幾度となく焼失しましたが、
その度に再建されました。
「国宝の寺」ともいわれているように、弥勒菩薩半跏思惟像をはじめ、
国宝約二十点、国指定の重要文化財約五十点を収蔵展示しています。
実は、弥勒菩薩半跏思惟像にはもう一つ、弟分のような一回り小さなお像がありまして、
こちらも国宝に指定されています。(高さ九十㎝、坐高六十六・四㎝)
どちらも同じポーズをとり、同じく弥勒菩薩半跏思惟像でありますが、
普段は有名な大きい像は「宝冠(ほうかん)弥勒」、小さい像は「宝髻(ほうけい)菩薩」
または「泣き弥勒」と呼ばれています。
また、境内の大酒神社で十月十二日に行われる"牛祭"は、
天下の奇祭といわれ、京都の三大奇祭に数えられています。
仮面をかぶった摩陀羅神(まだらじん)が、四匹の鬼を従えて牛にまたがって
歩くことから"牛祭"の名がついたもので、これは、長和年聞に恵心僧都(えしんそうず)が
七日の参籠(さんろう)をしたときに出あった不思議を、
五大尊の巡行としてあらわしたそうです。
行事としての牛祭は、奇祭に応わしく、ヘンテコリンなお面をつけた五大尊が、
ノラリクラリの国会喚問よろしく祭文を読みあげると、見物入から弥次がとび、
何とも間のびした、いえ、のどかなお祭りだったということです。
だった、と過去形で申しあげましたのは、残念ながら最近では行われないことの方が多くなってしまったからです。

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