京都貸切観光バス予約センター >主な観光名所>方広寺

方広寺(ほうこうじ)

束山区大和大路正面東入茶屋町527-2
電話:561-1720
料金:大人200円、高校200円、中学200円、小学100円
時間:9:00~16:00
60日毎(甲子の日)に大黒天のお祭りがある。
公開のなかで、特に大黒天は珍しいお姿をしたもので、太閤の御持仏であったことから、
出世開運の仏様として知られている。朱印あり。
2013年3月更新

方広寺は、天正十四年(1586)に豊臣秀吉が、奈良東大寺の大仏の
向こうを張って建てた大仏殿に始まる。
「京の大仏」とも呼ばれた大仏は木製で高さが19m、
大仏殿の広さは東西約55m、南北約90mあったが慶長元年(1596)
の地震で倒壊した。
ちなみに、奈良東大寺大仏の高さは15m。
当時の方広寺の境内は現在の京都国立博物館の敷地をも含む広大なものであった。
秀吉没後十年以上が経ち、慶長十七年(1612)に、
徳川家康の勧めにより豊臣秀頼が二代目となる金銅製の大仏を造った。
その際、高さ4mという大鐘を造ったが、その鐘に「国家安康 君臣豊楽」
という銘があり、その言葉が「家康」を二つに切り呪うものだと
徳川方がいいがかりを付けた。
これを口実にして、大坂冬の陣・夏の陣へと発展し、
豊臣家は滅んでしまった。
これが世にいう「方広寺の鐘銘事件」である。
二代目の大仏は寛文二年(1662)の地震で倒壊。
金銅製であったため、徳川幕府は大仏を鋳つぶして寛永通牢という貨幣を造った。
三代目となる木造大仏が造られたが、これも寛政十年(1798)に落宙により焼失。
幕末の天保十四年(1843)にも四代目となる木造大仏が造られたが、
これも昭和四十八年(1973)の火災で焼失した。
「京の大仏」といわれた方広寺の大仏はあまりにも不運といえる。

主な観光名所