京都貸切観光バス予約センター >主な観光名所>金閣寺

金閣寺(きんかくじ)

(鹿苑寺) 世界遺産
北区金閣寺町1
電話:461-0013
料金:大人400円、高校400円、中学300円、小学300円
時間:9:00~17:00
正式名称は鹿苑寺で、臨済禅宗、相国寺派の禅寺。
舎利殿 (金閣)が特に有名なために、一般には金閣寺と呼ばれる。
庭園は室町時代の代表的な池泉回遊式庭園で国の特別史跡及び特別名勝に指定。
節分と8/16は不動堂開扉法要が行われる。
2010年10月更新

金閣寺は舎利殿(シャリデン)金閣が有名な為、通称金閣寺。600年前に義満が考えた極楽浄土の姿。
正しくは北山鹿苑寺(ホクザンロクオンジ)、足利三代将軍義満が造営した山荘、北山殿が母胎。
宗派は、臨済宗相国寺派に属します。鹿苑の名は、足利義満の法号鹿苑院殿によるものです。
(お釈迦さまが初めて説法されたところの地名鹿野苑)
本山相国寺と共にいずれも同じ夢窓国師を追請開山する。現在は本山相国寺住職が両寺の住職をかねている。

 義満は室町に室町第を造営し幕府を移し、そこは花の御所と呼ばれ、政治の中心地となります。
そして幕府の隣に相国寺を建てた。この相国寺を中心に五山文学が生まれ文化の中心地としても栄えた。
しかし義満はこれにも満足せず、北山殿を造営。 
 将軍職を息子(義持)に譲り、ここ北山殿を邸宅としましたが、将軍職を譲ったとはいえ、
自らは太政大臣として政治の実権を握り、この地より天下を治めていた。
権力を一身に集め、栄華を欲しいままにした義満が建てた北山殿は日本の政治の中枢としても栄え、その規模は御所にも匹敵し、豪華さは目を見張るほどだったと伝えられています。
労力と金銭を惜しみなく使い、工事を分担させられた全国の守護大名たちには大変な負担だった。
天皇になりたかったといわれる義満の法号は「鹿苑院太上天皇」として日本国王を名乗った。

現在、境内約132,000㎡(4万余坪)の内、92,400㎡(2万8千坪)が鹿苑寺庭園として特別史跡及び特別名勝指定地となっています。中心をなす鏡湖池(キョウコチ)は約6,600㎡(約2千坪)
夢窓 疎石1275 – 1351 伊勢の人。 臨済宗天龍寺相国寺の開山国師。天台宗に学び、後、禅宗に帰依。
 歴応二年(1339)足利尊氏が後醍醐天皇を弔うために天龍寺を建立の際、第一祖となった。
尊氏に勧めて全国に安国寺と利生塔を創設した。後の五山文学の興隆を生み出し、
西芳寺庭園・天龍寺庭園なども彼の作庭であり、造園芸術にも才があり巧みであった。

相国寺派の寺院は、金閣寺銀閣寺をはじめ全国に100ヶ寺余りあります。
禅宗という宗派はありませんが、臨済宗の禅寺です。
【陸舟の松】:義満遺愛の盆栽を移植したもの。帆掛け舟の形で、舟は西方浄土を向いている。樹齢600年。
【舎利殿】:二層と三層は、漆(ウルシ)の上から純金の箔が張ってあり、屋根は椹(サワラ)の薄い板を何枚も重ねた柿葺(コケラブキ)で、室町時代の代表的な建物。
一層は寝殿造(シンデンヅクリ)で法水院(ホッスイイン)、 一層に釈迦三尊が安置
二層は武家造(ブケヅクリ)で潮音洞(チョウオンドウ)、 二層目は観音殿
三層は、中国風の禅宗仏殿造で究竟頂(クッキョウチョウ)、 三層に仏舎利

昭和25年(1950)7月2日見習い僧侶であり大谷大学学生が放火し、国宝の舎利殿(金閣)46坪が全焼。
現在の金閣は国や京都府の支援、地元経済界などからの浄財により、昭和30年に再建されたもの。
金閣は明治時代に大修理が施されており、その際の詳細な図面をもとに忠実な再現が可能となった。

昭和62年(1987)秋、漆の塗替えや金箔の張替え(総工費7億4千万円)、更に天井画と義満像の復元を行いました。10.8センチ四方の金箔約20万枚(約20キロの金)を使用。 張り替え前の10倍の量で、金箔の厚さは5倍でそれを二重に貼った。国産漆約1,45トン、65工程をかけて塗る作業が行なわれた。
平成15年(2003)春に屋根の葺き替えを行いました。

【夕佳亭】: 江戸時代の茶道家・金森宗和が好んだ数寄屋造りの茶席で、夕日に映える金閣が殊に佳いということから「夕佳亭(せっかてい)」と名づけられました。
正面の床柱が「南天の床柱」で、三角の棚が「萩の違い棚」、中央の古木が「鶯宿梅」です。1997年に解体修理が行われました。

2012-11-21紅葉写真
画像の説明

画像の説明

画像の説明


金閣寺

金閣寺 金閣寺

主な観光名所