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銀閣寺(ぎんかくじ)

(慈照寺) 世界遺産
左京区銀閣寺町2
電話:771-5725
FAX:771-5439
料金:大人500円、高校500円、中学300円、小学300円
時間:8:30~17:00 12/1~2/末 16:30まで
足利義政が隠居所として相阿弥に命じて造営された山荘の跡。
銀閣(観音殿)、東求堂(書院造)は国宝になっている。
四方正面の庭は多くの庭木や名石をそなえた庭園と砂庭(銀沙灘と向月台)あり。
特別拝観:本堂・東求堂・弄清亭の拝観は3/20-5/5・10:00~16:00、
通常拝観料の他に別途1,OOO円。団体は要予約。
2013年3月更新

東山慈照寺と号する臨済宗相国寺派の寺で、足利善政公の隠居所「東山殿」を寺としたもの。
東山殿は文明十四年(1482)から建設が始まり、東山文化の粋を尽くした数々の仏殿、住宅や庭園が造られました。しかし、永禄元年(1558)の兵火により、観音殿(銀閣)と東求堂を残して建物が消失し、元和元年(1615)に現在の姿になりました。
銀閣は、1489年建立の杮葺(こけらぶき)二層建てで、
下層は心空殿(シンクウデン)と呼ばれる書院造の住宅、
上層は観音像を安置する潮音殿(チョウオンカク)と呼ばれる禅宗禄仏殿となっています。
唯一現存する室町期の楼閣庭園建築の代表的建造物として有名です。
実際には銀泊は貼られていませんが、北山鹿苑寺の金閣に対し、一般に銀閣と呼ばれています。

応仁・文明の乱の最中に、将軍職を息子の義尚に譲った義政は政治の世界から離れ、祖父・義満の金闇寺(北山殿)に劣らない別荘造りを思い立ち、西芳寺(苔寺)をお手本として、文明十四年(1482)に建築に取り掛ったのでございます。
長享三年(1489)に一応完成しましたが、義政はその翌年に亡くなってしまいました。
創建当時は十二棟もの建物が並んでいたのですが戦火で失い、国宝に指定されている銀閣と東求堂の二棟と庭園を残すだけとなっております。
当時は応仁の乱が終わった直後で、京都の経済は疲弊していたが、義政は庶民に段銭(臨時の税)や夫役(ぶやく、労役)を課して東山殿の造営を進め、書画や茶の湯に親しむ風流な生活を送っていた。

2008年(平成20年)2月から2010年(平成22年)3月まで、杮葺の屋根の葺き替え、柱や壁など傷んだ部材の交換、耐震補強、2階の潮音閣内部に黒漆を塗るなどの修復が行われた。総事業費は約1億4,000万円。
銀閣寺垣 総門から中門まで長さ約50メートルの参道。銀閣寺垣と呼ばれる竹垣で囲まれた細長い空間は、本来は防御をかねた外界との区切りとして設けられたと思われますが、その厳粛で人工的な空間は我々の雑念を消し去ってくれます。
銀 沙 灘(ぎんしゃだん) 方丈前には白砂を段形に盛り上げた銀沙灘や円錐台形の向月台があります。銀沙灘は月の光を反射させるためとか、向月台(高さ180cm)はこの上に坐って東山に昇る月を待ったものだとかの俗説がありますが、これら二つの砂盛りは江戸時代に造られたもの。
方 丈 方丈(本堂)は江戸中期の建造。 ご本尊として釈迦牟尼仏が安置され、正面の額には「東山水上行(トウザンスイジョウコウ)」を掲げ、内部には江戸期の巨匠、与謝蕪村(ヨサブソン)、池大雅(イケノタイガ)の襖絵が所蔵されてます。方丈から見る月待山はまさに絶景です。
東 求 堂 観音殿(カンノンデン)(銀閣)とともに、東山殿造営当時の遺構として現存するのが東求堂(国宝)です。東求堂は本来持仏堂(ジブツドウ)、すなわち阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂でした。
 浄土信仰の象徴として東求堂を建て、禅宗様式の庭園を周囲にめぐらしたところに、義政公の精神世界を垣間見ることができます。

上から見た銀閣寺
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