西陣よもやま話

西陣織のはじまり

京都で織物作りが始まったのは、平安京が築かれるよりも前の5世紀頃のこと。
また、平安遷都とともに宮廷の織物を管理していた「織部司」と呼ばれる役所が置かれ、今の上京区黒門上長者町あたりに住んでいた職人に、綾・錦など
高級な織物作りを奨励し発展したといわれています。

西陣の由来

1467年、応仁の乱が終わると、各地に離散していた織物職人たちも京都に戻り、山名宗全率いる西軍の陣地が置かれていたあたりで、織物作りを再開します。
戦乱以前から織物の町として栄えていた京都北西部の一帯が「西陣」と呼ばれるようになったのはこの頃から。西軍の陣地跡だから「西陣」です。

位置は現在一般的に京都市の北西部、北は北大路通、南は丸太町通、東は烏丸通、西は西大路通に囲まれた約3キロ四方のエリアが「西陣」と呼ばれています。

紫野

紫野、いかにも京都らしい地名ですが、その地名の由来を調べてみたところ、
「紫野」という地名が出てくる最も古い史書は、平安時代初期の「類聚国史」で、その延暦14年の条に、「桓武天皇が紫野において狩りをされた」と記されています。(参照:角川日本地名大辞典)

桓武天皇が都を平安京に移されたのは延暦13年、それから間もない時期ということですから、遷都以前よりこの辺りはすでに紫野と呼ばれていたのではないかと思います。

常盤井址

都の名水七井の一つと云われ、常盤御前が用いた井戸と伝わる。
御前は源義朝の間に三子(今若・乙若・牛若)があり、
この近く(大徳寺北)に紫竹牛若町・牛若通などの地名が今も残っています。

紫式部の墓

紫式部の名前由来は、この地、紫野雲林院に閑居したからとも。
このお墓は工場の間に閉じ込められ忘れられかけていましたが、
近所有志の人や洛陽ライオンズクラブの手で整備され顕彰碑が建てられました。
初めに彼女が住んでいた所は、現在の寺町通今出川あたりと云われ盧山寺に邸宅跡の碑があります。
大徳寺大慈院にも紫式部の碑が、大徳寺真珠庵に紫式部産湯の井が、
千本閻魔堂には紫式部供養塔があります。

小野篁(おのこう)の墓

なぜか紫式部の墓と併存しています。
小野篁は平安前期、左大臣、遣唐副使まで勤めた公卿ですが、夜は冥府に赴き閻魔大王の忠実な役人?であったとの逸話が有名です。

紫式部のお墓は島津製作所さんの一角に小野篁のお墓と並んで建っています。
その並び方から一瞬「恋人同士?」と思いますが、生きた時代が違いますのでそれはありません。
では、なぜ並んで建っているのかと言いますと、紫式部は「源氏物語という架空のお話を書いた=嘘をついた=地獄行き」
となっていたところ、閻魔様に仕えていた小野篁が源氏物語の人気振りを伝え、
地獄行きから逃れたという伝説があるからだそうです。

しかし、当の紫式部もフォローした小野篁も、まさか1000年後までブームが続き、世界20カ国で翻訳がされるとは想像しなかったでしょうね。

今宮神社

大徳寺の北西に位置する今宮神社はもともと平安京以前から疫病災厄を鎮めるため、素戔嗚尊(スサノオノミコト)をお祀りする社があったそうですが、長保3年(1001年)に疫病が流行し、現在の場所に大己貴命(オオナムチノミコト、大国主大神の別名)、事代主命、奇稲田姫命という出雲系の神様をお祀りする社を造り、合わせて今宮社と名付けて疫病鎮めを祈願した、というのが起こりです。
末社に織姫神社があります。

四月第二日曜に行われる「やすらい祭」は「京の三奇祭」の一つと呼ばれ、花で飾られた大きな傘や大鬼など「練り衆」と呼ばれる行列が町々を歩きます。

今宮祭

祭礼は、毎年5月1日の神輿出し、5日の神幸祭(おいで祭)にはじまり、15日(現在はこれに近い日曜日)の還幸祭(おかえり祭)、19日の神輿おさめをもって終わります。

神幸祭には、車太鼓を先頭に、祭鉾、八乙女、伶人、御神宝等が続き、御牛車、神輿三基の順に、西参道より所定の道筋に従って町々を巡行し御旅所に入御します。

還幸祭には御旅所を出御し、所定の道筋に従って町々を巡行し、夕刻東参道より本社に還御します。

「今宮祭」の中心はなんといっても神輿と祭鉾でしょう。
とくに神輿は、昭和51年から3年がかりで3基すべてが修復され、京都の伝統工芸のわざを尽くしたすばらしい姿が蘇りました。

やすらい祭

このお祭りは、平安時代に船岡山で疫病を鎮めるための御霊会を行ったことに始まると言われています。「夜須礼祭」、「安良居祭」ともいって、歴史的に由緒深く、民族芸能上も重要な祭(民族無形文化財指定)にもなっています。

「見ぬもあほう、二度見るもあほう」などといわれ、江戸時代から太秦の「牛祭」、鞍馬の「火祭」とともに「京の三奇祭」の一つとされてきました。

全身を緋一色に装い、赤毛と黒毛を振り乱し鉦(かね)と太鼓を打って乱舞する
大鬼役はけっこうハードなものです。
年々、後継者が減る傾向 にあり、何度も存続の危機にさらされたことがありますが、地元の人たちの熱い思いで支えられ続けています。

大徳寺 船岡山 建勲神社 玄武神社 雲林院 大徳寺納豆 お地蔵さん しょうきさん 首途八幡宮

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